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果報の寝言

20031203 コマーシャルの必要性

「インターネットで殺人のサイトをみて、人を殺したくなった」そんな動機で兄弟を殴ってしまう事件を耳にしました。
以前にも、コンピュータゲームのように殺人を実行するというような少年の事件もありました。

確かに、映画やテレビの番組で暴力シーンが多くなったことに危惧した大人たちが、年齢制限を設けましたが、私は映画やテレビは、あまり問題ないように思います。それは、映画やテレビの場合、制作サイドの立場の人とスポンサーサイドの立場の人、供給サイドの立場の人、といろいろな立場で検証されて世に出されますので、多少の誤解や行き過ぎはあったとしても、視聴者をそのまま犯罪に走らせるようにはなっていないからです。

それが、インターネットの場合、個人で制作されたものも多く、内容の正義を云々する余地がないものも多いと思います。そんなスクリーン画面に少年少女が一人で向かって、その世界にのめりこんでしまったら、救い出せるきっかけがまるで無い、非常に危険な状態に陥りやすいのです。

映画は、どんなにその内容に釘付けになっても、エンディングには明るくなり、人々の声や街の中に、普段の生活感を取り戻すことができます。テレビも、コマーシャルがあるから、ふっと現実の世界に戻れるきっかけになるのです。

どんなにその内容が、魅力的であったとしても、バーチャルな世界と、現実をごちゃまぜにするようなことがないように、偏り過ぎないバランス感覚の育成がとても大切だと思いました。(2003.12)






 
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